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東京地方裁判所 昭和52年(行ウ)315号 判決

原告 山口放送株式会社

右代表者代表取締役 野村幸祐

右訴訟代理人弁護士 竹内桃太郎

同 渡辺修

同 吉沢貞男

同 宮本光雄

同 山西克彦

同 冨田武夫

被告 中央労働委員会

右指定代理人 馬場啓之助

〈ほか四名〉

参加人 民放労連山口放送労働組合

右代表者執行委員長 野村良雄

参加人 村谷留美

参加人 民放労連中四国地方連合会

右代表者執行委員長 磯崎弘幸

右参加人ら訴訟代理人弁護士 田中敏夫

同 松井繁明

同 井貫武亮

主文

被告が再審査申立人を原告、再審査被申立人を参加人らとする中労委昭和五〇年(不再)第三九号事件につき昭和五二年六月一日付でした命令を取消す。

訴訟費用中、参加によって生じたものは参加人らの負担とし、その余は被告の負担とする。

事実

第一申立

一  原告

1  主文第一項と同旨

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  被告及び参加人ら

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二主張

一  原告

1  山口県地方労働委員会(以下「山口地労委」という。)は、参加人村谷留美(以下「参加人村谷」という。)が昭和四七年八月二八日に原告から解雇されたことを理由として参加人らから申立てられていた不当労働行為救済申立事件(昭和四八年山地労(不)第六号)について、昭和五〇年四月一五日申立を認容して、参加人村谷の原職復帰、バックペイ及びポスト・ノーチスを命ずる救済命令を発した。

2  原告は、右命令を不服として被告に対して再審査を申立てたが(中労委昭和五〇年(不再)第三九号)、被告は、昭和五二年六月一日付で別紙のとおりの命令(以下「本件命令」という。)をし、その命令書の写は、同年八月七日原告に交付された。

3  本件命令は、次の理由により違法であるから、取消されるべきである。

(一) (除斥期間の経過)

参加人村谷は、昭和四七年二月一日、原告との間で、期間を同年三月三一日までとする臨時雇としての労働契約を締結し、同年四月一日、更に期間を同年五月二〇日までとする契約を締結し、その後、契約は、一か月ごとに更新されていた(最終のものは期間を同年七月二一日から八月二〇日までとするもの)が、同年八月二五日、原告は、同参加人に退職を勧告し、同参加人が同日限り退職すると述べたので、原告は、期間を同月二一日から二五日までとする労働契約書に同参加人の捺印を得、かつ、同参加人に対し、合意解約であるから就業規則上は必要がないが念のため解雇予告手当を支払うと告知した上現金三万九六三〇円を交付した。従って、同参加人の原告との雇用関係は、同月二五日をもって合意解約により終了した。そして、参加人らは、右同日から労働組合法第二七条第二項所定の一年の期間を経過した後の昭和四八年八月二七日、山口地労委に不当労働行為救済の申立を行ったのであるから、同地労委は右申立を受けることができなかったはずである。しかるに、同地労委は、参加人村谷の離職日を昭和四七年八月二八日と誤って認定して、前記1のとおり参加人らに全面的な救済を与え、被告も右同様の誤った認定をして、原告の再審査申立を一部を除いて棄却した。

(二) (被救済利益の欠如)

前記(一)のとおり、参加人村谷は原告会社を合意により退職したのであるから、参加人らには参加人村谷の原職復帰等につき被救済利益はありえない。

(三) (原告の参加人村谷に対する退職勧告の正当性)

(1) 同参加人は、採用以来遅刻したり(昭和四七年二月一〇回、四月七回、五月三回、六月一六日から七月一五日まで三回)就業時間ぎりぎりに出社して来ることが多く、原告会社放送部長井上進から再三注意を行ったが、改められなかった。他のアナウンサーは、通常遅くとも就業時間の一〇分位前には出社して仕事の準備をし、就業するのが常であり、多い者でも遅刻は年に一、二回である。また、通常新人アナウンサーは、分らないところがあれば先輩にきいたり、一通り教えられると自分で練習を繰返したりして上達して行くものであるが、同参加人は、先輩にきくこともせず、上司から練習をするように指示されても練習をせず、自分の机に座って慢然と時を過していることが多く、概して勤務意欲がみられなかった。

(2) 同参加人が通常のローテーションに入った昭和四七年五月一日から退職するまでの四か月間に女子アナウンサーが起した放送事故は三〇件であり、このうち同参加人のそれは二五件にのぼる。しかも、同参加人の事故の中には次のような大事故が含まれている。

昭和四七年六月一一日、当時同参加人が担当していた「歌のない歌謡曲」(録音番組)のテープに録音が全く入っていなかったことが放送直前に判明し、原告は急拠翌日放送予定分のテープを用いて放送したが、そのために原告はスポンサーから追及され、謝罪せざるをえなかった。また、同参加人にはコマーシャルの誤読が多く、このため、原告は、スポンサーや広告代理店から九回にわたって苦情を受けた。

なお、原告は、同参加人に対して他の女子アナウンサーの場合と変りのない研修を行ったが、同参加人の起こした事故は、いずれも集中力、冷静さ等の欠如に由来するものであり、アナウンサーとしての技術とか研修以前の問題であって、研修期間の長短等とは関係がない。

(3) 以上のような理由から原告は同参加人に対して退職を勧告したのであって、右勧告は、不当労働行為には当らない。

(4) 前記(1)及び(2)のほか、本件命令における被告の認定の誤りは、次のとおりである。

イ 同参加人は、昭和四七年三月から通常のアナウンサーと同様の勤務形態で就労したのではなく、同年五月に入ってから一本立ちしたのである。同参加人が同年二月から五月まで担当した「モウリ、ミュージック・プラザ」は、主任アナウンサー竹下正の単なるアシスタント役で、もともと素人をあてる予定であった役であり、しかも同参加人は右番組においてミスを連発したため、同年五月一杯で右番組から下ろされたが、そうすると同参加人の担当番組がなくなってしまうので、最も定型的で、仮にミスがあっても取直しのきく「歌のない歌謡曲」を担当させることとし、人の割振りの関係から右両番組がたまたま同年五月の間だけ重なったに過ぎない。

ロ 同参加人に配置転換を考慮しなかったのは、同人を原告会社から排除する意図によるものではなく、入社の経緯等から同人にはアナウンサー以外の仕事に従事する気持のないことが明らかであったから、配置転換を持出す余地がなかったまでである。

ハ 昭和三八年の新入社員採用に際し、原告が新入社員、その父兄又は保証人に対し労働組合に加入しないよう働きかけた事実はない。

ニ 井上雪彦の労働組合加入に際して原告が圧迫を加えた事実はなく、同人が担当番組の中で女性の性器を意味する俗語を口にしたのを、視聴者からの苦情で知った原告会社の幹部が同人に注意したところ、たまたまその時期が同人の労働組合加入後約三か月のときであったため、労働組合がこの注意を組合員に対する攻撃と主張したに過ぎない。

ホ 昭和四六年一二月二八日原告会社総務部長四万高元が同参加人及びその父村谷徳男に対し「会社には新労、旧労の二つの労働組合があるが、旧労には入らないように」と述べたとの認定事実、昭和四七年六月一九日同部長が同参加人及びその父に対し「村谷さんについては余り研修を受けていないんだし放送事故をどうこういうんじゃない。服装のことを問題にしてはいない。問題なのは村谷さんが組合の者とつきあうことである」と述べたとの認定事実、原告が再三組合問題について同参加人の保証人小松正明をして同参加人やその父に対し種々言わしめたとの認定事実、昭和四七年六月初旬頃井上放送部長が同参加人に対し「君の下宿に組合員の人が行っては困る」と注意したとの認定事実は、いずれも否認する。

二  被告

原告主張1及び2の事実は認める。

本件命令は適法に発せられた行政処分であって、処分理由は同命令書理由欄記載のとおりであり、被告の認定した事実及び被告の判断に誤りはない。

三  参加人ら

1  原告主張3(一)の事実について

(一) 右事実中、参加人村谷の退職が昭和四七年八月二五日合意解約によるものであること、参加人らの山口地労委への不当労働行為救済の申立が昭和四八年八月二七日になされたことを否認する。

同参加人と原告との間の雇傭契約は、昭和四七年八月二一日黙示の更新により期限の定めないものとなっていたところ、原告は、同月二五日、同参加人に対し退職を勧告し、同人がこれに応じないため、同月二八日解雇予告手当を提供して解雇したのである。また、参加人らの救済申立は、昭和四八年八月二三日山口地労委において有効に受付けられている。

(二) 参加人民放労連山口放送労働組合(以下「参加人組合」という。)は、昭和四八年八月二三日、単独で山口地労委に救済の申立をし、同地労委は、同日、右申立を受付けた。ところが、申立人追加の必要が生じたため、参加人組合は、先に提出した申立書に新たに参加人村谷及び同民放労連中四国地方連合会を申立人として付加えた申立書を「さしかえて下さい」との付箋をつけて同地労委宛郵送した。右申立書は、同月二七日、同地労委事務局員の手に届き、同日、同事務局より申立書の受付は八月二七日でよいかとの確認の電話が参加人組合にあった。参加人組合では、当時参加人村谷が原告を相手取って山口地方裁判所に提起していた訴訟において原告が同参加人の退職日を昭和四七年八月二八日と主張していたことから、除斥期間に問題はないと判断し、昭和四八年八月二七日を申立日とする取扱いでよい旨返答した。しかるに、その後原告は、救済申立の除斥期間経過を主張するために、同参加人の退職日についての主張を訂正したのである。従って、仮に救済申立日に関する右(一)の主張が認められないとしても、原告の除斥期間経過の主張は、信義則に反し、許されない。

また、本件のように除斥期間経過につき救済申立人らに何の責任もなく、責められるべきはむしろ被申立人たる原告側であるような場合は、少なくとも民事訴訟法第一五九条第一項が準用されるべきである。

2  同3(二)の主張について

争う。

3  同3(三)の事実について

同(1)の事実は否認する。

同(2)の事実中、原告主張のテープの録音が消えていたことは認めるが、その余の事実は否認する。

同(3)の事実は否認する。

同(4)イないしホについては、本件命令中の被告の認定はいずれも正当である。

第三証拠《省略》

理由

一  原告主張1及び2の事実は、当事者間に争いがない。

二  (参加人村谷の退職時期について)

1  甲第二号証の三ないし五の原告作成名義の部分は被告及び参加人らにおいて明らかに争わず、参加人村谷作成名義の部分については、同参加人名下の印影が同参加人の印章によるものであることは当事者間に争いがないところ、《証拠省略》中には、右甲第二号証の三ないし五は、いずれも昭和四七年八月二八日に原告会社人事課係員秋貞成彦が同参加人から印章を預り、同参加人が十分認識できない間に同参加人の名下に捺印したものである旨の同参加人の供述記載部分ないし供述部分があるが、右甲第二号証の三ないし五の体裁と《証拠省略》に照らせば、右供述記載部分ないし供述部分を信用することができないので、右甲第二号証の三ないし五は真正に成立したものと認めることができる。

そして、《証拠省略》によれば、同参加人は、昭和四七年二月一日、原告との間で期間を同日から同年三月三一日までとする労働契約を締結して、原告会社のアナウンサーとして採用され、労働契約は、その後四回にわたって更新され、最後の労働契約における期間は、同年七月二一日から同年八月二〇日までであったこと、同月二一日以降も同参加人は引続いて原告の異議なく就労していたことが認められる。

2  甲第二号証の六の原告作成名義の部分は被告及び参加人らにおいて明らかに争わず、参加人村谷作成名義の部分については、同参加人名下の印影が同参加人の印章によるものであることは当事者間に争いがないところ、《証拠省略》中には、右甲第二号証の六は、同号証の三ないし五と同様の方法で、これと同一の機会に秋貞成彦により作成されたものである旨の同参加人の供述記載部分ないし供述部分があるが、同号証の六と同号証の三ないし五との体裁を対比し、かつ、《証拠省略》に照らせば、右供述記載部分ないし供述部分もまた信用することができず 右甲第二号証の六は真正に成立したものと認めることができる。

そして、《証拠省略》を総合すると、次の事実が認められる。

参加人村谷の雇用期間は、昭和四七年八月二〇日までであったが、原告会社では同参加人との雇用関係をこれ以上継続しないこととし、原告会社総務部長四万高元は、同月中旬頃、同参加人を原告に紹介した小松正明にその旨を伝えて同参加人の父村谷徳男の来社を促したところ、小松からその連絡を受けた同人は、同月二五日、原告会社に来社した。そこで四万総務部長は、人事課長木村宏及び放送部長井上進立会の下で、村谷徳男及び同参加人に対し、これ以上の再雇用は考えられないので円満に退社されたい旨述べたところ、原告会社側の四万総務部長らと村谷徳男らとの間で退職理由等について論争が行われたが、結局、村谷徳男は、同参加人を本日で引取る旨述べ、同参加人も退社する旨述べた。その後で、井上放送部長は、同参加人に退職願の提出を求めたが、同参加人は、自分が願い出てやめるわけではないから退職願は書かない旨答えた。一方、同参加人の退職の意向を知った木村人事課長は、秋貞係員に退職のために必要な手続の準備をするよう指示し、同係員は、期間を昭和四七年八月二一日から同月二五日までとする同月二〇日付の労働契約書用紙を作成したが、木村人事課長が、井上放送部長から同参加人が退職願を提出しない旨の連絡を受けて、同係員に解雇予告手当も支給するよう指示したので、同係員は右手当支給の準備もした。準備を終えて午后五時頃、同係員は、同参加人を総務部の隣の部屋に呼び、そこで期間が当日までであることを話して前記労働契約書用紙に同参加人の捺印を得(甲第二号証の六)、更に、就業規則上は支払う必要はないのだが、念のために支払うと説明した上、解雇予告手当として三万九六三〇円を源泉徴収票(甲第三号証の一)と共に交付し、引換に社内領収書(同号証の二)を受取ったが、同年七月二一日以降の給料は社内の支出手続の関係で交付できなかったため、後日来社してもらうこととした。同参加人は、同年八月二八日来社し、経理部において右未払給料を受領した。

以上の事実が認められる。

3  この点について、《証拠省略》中には、同参加人は、昭和四七年八月二八日に原告会社において秋貞係員に印章を交付したところ、同係員が勝手に期間を同月二一日から二五日までとする同月二〇日付の労働契約書(甲第二号証の六)を作成し、かつ解雇予告手当と未払給料を同参加人に交付し、その際同参加人に解雇予告手当の社内領収書(甲第三号証の二)への記入及び署名捺印を求め、その日付はお金を払う都合上八月二五日と書いてくれと言ったため、同参加人は言われるとおりに記入し、署名捺印したとの趣旨の同参加人の供述記載部分及び供述部分がある。

しかし、次の理由から右供述記載部分及び供述部分はいずれも信用することができない。

(一)  原告が雇用期間を同月二五日までとした労働契約書の作成と解雇予告手当支払の方法をもって同参加人を退職せしめる手続としたことは前記2で認定のとおりであるところ、その手続が同月二八日に行われたものならば、労働契約書の雇用期間の最終日と解雇予告手当の支払日を右同日とすれば足りるのであって、この日付を同月二五日まで遡らせなければならなかった特別の理由は本件において見出しがたい。

(二)(1)  《証拠省略》によれば、同参加人の父は、昭和四七年八月二五日四万総務部長らとの論争の過程において、退職の場合同参加人の下宿からの引越費用を原告会社で持つようにと言ったことが認められる。

(2) 《証拠省略》によれば、同参加人は、右同日午后六時頃原告会社のスタジオにおいて放送課長小山晶に対しいろいろお世話になりましたとの趣旨の挨拶をしたことが認められる。

(3) 《証拠省略》によれば、同参加人は右同日午后六時頃から担当番組である「歌のない歌謡曲」の録音をとる仕事を行ったが、その最中、同参加人の父は、井上放送部長に対し山口放送での記念としてその録音テープをもらいたい旨申し出たことが認められる。

もっとも、《証拠省略》中には、録音テープをもらいたいと申し出たのは、退職勧告で四万総務部長らと論争した後で同参加人がどんな録音をするかみたかったからであるとの同参加人の父村谷徳男の供述記載部分があるが、録音テープをもらい受ける動機としては納得できるものではなく、右部分は信用することができない。

(4) 右(1)ないし(3)の事実からすれば、同参加人及びその父が、右同日既に、原告との間の雇用関係が事実上終了したと認識し、かつ、そのような態度を表していたものと考えられ、原告において退職してくれることを欲していた同参加人らの側に右のような意向がみえながら、その日のうちに退職に必要な手続をとらないで放置しておくということは、人事担当者の事務処理として通常は考えられないところである。

(三)  以上の理由により、前記労働契約書(甲第二号証の六)及び社内領収書(甲第三号証の二)は、いずれも昭和四七年八月二五日に作成されたものと認めるのが自然である。

(四)  次に、右各文書が右同日作成されたものとした場合に問題となるべき点を以下検討する。

(1) 《証拠省略》によれば、井上放送部長は、昭和四七年八月二六日同参加人からかかって来た電話の中で退職願の提出を促し、かつ、同月二八日午后三時頃来社した同参加人に対し退職願を持って来たかと尋ねたことが認められるが、《証拠省略》によれば、同部長は、同月二八日同参加人から退職願は出さないと言われてその旨木村人事課長に伝えたところ、そのとき始めて、同月二五日に既に前記2のような手続がとられていることをきかされたことが認められる。

(2) 《証拠省略》中には、同参加人の父村谷徳男が昭和四七年八月二八日午后六時頃帰宅したところ、その少し前に小松正明から電話があり、同参加人が退職願の提出を拒んでいて四万総務部長が困っているから何とかしてほしいとのことであったので、同部長に電話を入れて抗議すると、同部長は、退職願を出さないのなら出さなくともよい、私の方ではやる方法があると言って、電話が切れたとの村谷徳男の供述記載部分及び供述部分がある。しかし、《証拠省略》によれば、四万総務部長が同参加人らに退職願は出さなくともよいと言ったのは同月二五日のことと認められ、しかも《証拠省略》からは同月二五日には同参加人及びその父と同部長らとの間で退職をめぐってかなり激しいやりとりがあったことが窺われるので、同月二八日に同部長が円満退職のために同参加人の父に重ねて退職願の提出を依頼することは考えられないところであって、村谷徳男の前記供述記載部分及び供述部分は信用することができない。

(3) 前記2の社内領収書(甲第三号証の二)の欄外には昭和四七年八月二九日を示すスタンプ印が押捺されているので、右同日右領収書の処理手続が行われたものと認められ、右預収書はその前日の同月二八日に作成されたものではないかと考える余地はあるが、《証拠省略》によれば、右領収書は、作成後秋貞係員から経理課に交付されたものであり、右日付印は、同課で伝票がある程度たまったときに一括して整理する際に押捺されたものであることが認められるから、右日付印押捺の事実からただちに右領収書の作成時期をその前日と推認することはできない。

(4) 《証拠省略》によれば、同参加人は、昭和四七年一〇月一三日、原告を相手取って、同参加人が退職に至るまでの原告の不法行為を原因として慰藉料の支払及び謝罪状の交付を求める訴訟を山口地方裁判所に提起したこと、原告の代理人弁護士広沢道彦は、同年一一月二四日、右訴えに対して「原告(同参加人)は八月二八日被告会社(原告会社)を退職した」と記載した答弁書を提出し、更に昭和四八年六月、証人木村宏に対する尋問事項の一つとして「原告(同参加人)が昭和四七年八月二八日退職となった理由について」と記載した証拠申出書を提出したことが認められ、《証拠省略》中には、右の八月二八日の日付はタイプミスであるとの記載部分があるが、答弁書のみならず証拠申出書にまで八月二八日の日付が記載されているので、単なるタイプミスとみることは困難である。しかし、《証拠省略》によれば、原告は、昭和四七年九月一日に徳山公共職業安定所長に対し同参加人の離職年月日を同年八月二五日として書類を提出していることが認められ、《証拠省略》中の右八月二八日の日付は原告の代理人広沢弁護士が答弁書作成に当って誤記したもので、原告に答弁書が送付されたときに同弁護士に対し解雇日は八月二五日であることを連絡したところ、同弁護士からいずれ訂正のための準備書面を提出するとの回答があった旨の四方総務部長の供述記載及び既に認定したとおり同参加人の未払給料支払手続が同月二八日に行われていて同日が同参加人の退職に関連する手続の行われた最後の日であったことを考慮に入れると、前記答弁書等における日付の記載は広沢弁護士の誤解に基づくものと認めるのが相当である。

(5) 以上の次第で、右(1)ないし(4)の事実は、いずれも前記労働契約書(甲第二号証の六)及び社内領収書(甲第三号証の二)が昭和四七年八月二五日に作成されたことと矛盾するものではなく、これらが同月二八日に作成された旨の同参加人の前記供述記載部分及び供述部分を信用すべき根拠とはなりえない。

4  そこで、前記1及び2の事実によれば、同参加人と原告との間の雇用関係は、昭和四七年八月二一日以降期間の定めのない雇用契約となっていた(民法第六二九条)ところ、同月二五日、あらためて期間を同月二一日から二五日までとする雇用契約が締結されたものであり、同月二五日の経過と共に期間満了により終了したものと解するのが相当である。

三  (参加人らの救済申立時期について)

1  《証拠省略》によれば、参加人らの山口地労委への救済申立日は昭和四八年八月二七日として同地労委において取扱われていたことが認められる。

もっとも、《証拠省略》によれば、本件救済申立は、参加人組合、同村谷及び同民放労連中四国地方連合会の連名によるものであるところ、昭和四八年八月二三日、参加人組合の者が、申立人として右参加人三名を連記し、参加人組合の表示の末尾にのみその印章を押捺した申立書を同地労委事務局に持参したこと、応待した同事務局係員が参加人組合以外の参加人らの捺印のないことを指摘すると右申立書を持参した者は一旦これを持ち帰ったこと、同地労委においては、外部から来た文書は事務局第一課(現調整課)で受付けて文書整理簿に記載し、更に右文書のうち不当労働行為救済申立書は、これに日付印を押捺し、かつ、文書交付補助簿に記載して申立書を第二課(現審査課)に交付する扱いとなっており、本件救済申立の場合は、第一課の係員が、収受日の欄は空白のままで、番号(収受文書としての番号)、収受文書の日付、件名及び差出人を文書整理簿に記帳した段階で申立書を持参した者に捺印漏れを指摘し、右の者がこれを持ち帰ったため、その後なされるべき申立書への日付印の押捺、文書交付補助簿への記載及び申立書の第二課への交付の手続は行われなかったこと、その後同月二七日、参加人三名の捺印のある前回と同じ内容の申立書が郵便で同地労委事務局に到達したが、右申立書には二三日付で差替えてほしいとの内容のメモが添附されていたこと、これを受領した係員は、一旦は右要望に従い右申立書に昭和四八年八月二三日の日付印を押捺したが、同事務局内で日付を遡らせることはできないのではないかとの意見があったため、参加人組合に対し受付月日を八月二七日にしてよいかと電話で確認を求めたところ、それでよいとの返事であったので、申立書に押捺した日付印を同月二七日に訂正したことが認められる。

思うに、労働組合法第二七条第一項の申立を書面によりなす場合は、申立書を管轄労働委員会に提出することが必要である(労働委員会規則第三二条第一項)が、右申立書が提出されたといいうる時期は、申立書が申立人の手から確定的に労働委員会の手に委ねられた時期であるものと解するのが相当であり、右認定の事実によれば、本件救済申立書は、昭和四八年八月二三日、一旦山口地労委事務局係員の手に渡ったが、文書整理簿に前記のような事項を記載したのみで、直ちに持参者に返却されたのであるから、右同日に救済申立がなされたものということはできず、申立書が再び郵便により到達した同月二七日に救済申立がなされたものというほかはない。

前記認定のような申立人の一部の捺印漏れの場合、これを受理した労働委員会が後で欠陥の補正を命じたり(同規則第三二条第四項)、当事者の追加の措置をとったり(同規則第三二条の二)することもありえようが、それは申立書が労働委員会に提出されたといいうる場合のことであり、本件においては捺印のあった参加人組合の申立自体も同月二三日になされたとはいえないのであるから、右のような措置が可能であったからといって、申立が同月二三日になされたものということはできない。

2  参加人らは、原告が当時山口地方裁判所に係属していた訴訟において参加人村谷の退職時期を昭和四七年八月二八日と主張していたため、参加人組合では除斥期間に問題はないものと判断し、山口地労委からの確認の電話において昭和四八年八月二七日を申立日とする取扱いでよい旨返答したのであるから、原告の除斥期間経過の主張は信義則に反して許されない旨主張する。しかし、原告が除斥期間の経過を企図して同地方裁判所での訴訟において参加人村谷の退職日を昭和四七年八月二八日と主張していたような事情を認めるべき証拠はないし、参加人らが昭和四八年八月二三日に申立書を提出できなかったのは、前記認定の事情によるものであって、原告の訴訟事件における主張内容とは直接の関係がなく、また、申立日が同月二七日になったのは、参加人組合が右電話に対して差支えないと返事をしたからではなく、申立書が郵便により同地労委に到達した日が結局同月二七日であったためであるから、原告の除斥期間経過の主張をもって信義則に反するものということはできない。

3  更に、参加人らは、右除斥期間経過につき救済申立人らに何の責任もなく、責めらるべき被申立人たる原告であったから、民事訴訟法第一五九条第一項が準用されるべきである旨主張するが、前記2のとおり救済申立人らに何の責任もなかったとはいえないので、参加人らのこの点の主張もその前提を欠き、採用することができない。

四  以上の事実によれば、参加人らの救済申立は、労働組合法第二七条第二項に定める行為の日から一年を経過した事件に係るものであって、地方労働委員会において受けることができなかったものであったにもかかわらず、本件命令は、山口地労委の発した救緕命令を維持(一部変更)したのであるから、その余の点について判断するまでもなく、違法であって、取消を免れない。

よって、原告の請求は、理由があるからこれを認容し、訴訟費用(参加によって生じた費用を含む。)の負担について民事訴訟法第八九条、第九三条及び第九四条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 桜井文夫 裁判官 福井厚士 渡辺壮)

〈以下省略〉

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